47歳中高年平社員です。ダメ人間です。
私が株式投資を始めたのは2007年からです。
当時、派遣社員として現在の工場で働いていました。
大学の奨学金を前倒しで返済が修了し、資産を増やさなければと思い株式投資を開始しました。
小銭貯金と親から借りて資金の70万円を株の購入資金にあてた初年度、100万円以上増やし、株の評価額は200万円程度になりました。翌年から信用取引を開始し、お決まりの資金を溶かす失敗の始まりでした。
株式投資2年目の年に麻生政権が解散、株価は大暴落。3日で80万円以上を溶かしました。
ただ、その後の何年かで少しずつではあるが資産を増やし、2011年の東日本大震災では暴落時に買った株が上昇し、2015年にはなんとか資産300万円を超えるようになりました。
派遣社員の少ない給与で投資額を増やしていたのに、約8年くらいで300万円程度にしかなっていない。無理な信用取引を行なっていたのに。
なんとか資産を増やさなけれいけないと感じていたその根底にあったのは、自分がダメ人間で会社で働くことに限界を感じていたからです。自分でお金を生み出さなくてはと焦っていました。
無理な信用取引を行なって利益を出そうとしていましたが、こんな信用取引を繰り返していたらいつか痛い目に会うことは薄々感じていました。だから、一時期信用取引をやめていました。
そして、チャイナショックです。
それまで信用取引をやめていましたが、株価はが下がりナンピンのチャンスだと信用取引を再開した。ここで儲けて信用取引を止めようという思考にいたっていました。
しかし、想定以上の大きな下げでビックカメラを除き全部売却した。
300万円以上あった資産が60万円程度になりました。チャイナショック前の損益を通算すると250万円以上を溶かしたことになります。
当時、42歳の契約社員で年収280万円程度です。そしてその年会社は早期退職者の募集を行いました。対象年齢23歳以上ですって。
厄年のせい?
おわた。人生おわた。
資産の大部分を溶かし、正社員への登用も無くなり、このまま低収入非正規社員として死んでいくのかと絶望しました。
自分で経験することは大切なことです。
その後、信用取引は行なっておりません。
あっ、日経ダブルインバースをやりました。それ以外はやっていません。
少なくてもキャピタルゲイン狙いの株の短期売買は自分には向いていないことは悟りました。この失敗が活きることを祈ります。
あれから5年。その後正社員に登用されました。資産1000万円まで後1年程です。
ダメ人間 資産1000万円セミリタイアまであと少し - 気ままに生きる/無理をしない生き方の模索